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岩倉榮利(いわくら えいり)
1948年
福島県生まれ
1966~68年
郡山デザインセンター(インテリアデザイン研究室)
1968~70年
ICS カレッジオブアーツ(インテリアデザイン科)
1970~75年
(株)島崎信デザイン研究所
1985年
(株)岩倉榮利造形開発研究所 設立
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吉田憲生(よしだ のりお)
株式会社幕傳 代表取締役
創業450年、名古屋で紋幕や陣幕、太鼓、貸衣装などを取り扱う幕屋(屋号:幕屋傳兵衛)を発祥とする「幕傳」の十二代目大学卒業後、広告代理店に就職
その後家業を継ぎ、家具小売部門を開設
2016年3月 名古屋に「幕傳」をリニューアルオープンし、岩倉榮利デザインの家具ブランドを一同に紹介している。 -
元々新潟県加茂市は桐箪笥に特化した素晴らしい技術を持っていました。吉田さん、ちょっと引き出しを開けてみてください。空気が逃げ出す隙間もないくらい気密性が高いので、一つを閉じると他の引き出しが開くでしょう。ヨーロッパではこのような家具は見つからない。向こうは引き出しにレールを付けますからね。
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外からは見えない秘密のツマミで鍵を掛けるこの仕組みは、伝統的な桐職人のアイデアです。開かない引き出しの中にへそくりを隠したら見つかる心配はありません。ヨーロッパの人たちは「あり得ないマジックだ!」といって目を丸くします。
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そうですね。27歳で独立して、渋谷パルコパート3全体のインテリアを任されたのですが、最終的にテナントが入らない一角が空いちゃって、責任を取らなければならなくなりました。その時、当時のパルコの増田社長が「自身のブランドを立ち上げて出店すればいい」といってくれました。「イッセイ ミヤケもコム・デ・ギャルソンも、自分でブランドを立ち上げた。パルコは応援する」と背中を押してくれたのです。それが日本の家具で初めてのデザイナーズブランド<ROCKSTONE>の1号店になりました。
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先生のデザインの特徴は既成概念に囚われないところです。人間がより人間らしく自由に生きるための家具を作っている。既成概念、既成の造形、既成のデザイン……あらゆる既成のものからサヨナラしています。そんな自由さや人生を楽しむ姿勢、そこから生み出される家具が、世界の人々を魅きつけてやまないのです。
2015年10月、デンマーク・コペンハーゲンで開かれた「岩倉榮利(いわくら えいり) 日本の伝統美とデザイン展」は、賞讃の嵐に包まれていました。現地を代表する新聞の一面に大きく取り上げられ、その作品は北欧のデザイン業界を代表する人々の熱烈な支持を集めたといいます。今回はそんな世界的家具デザイナーである岩倉榮利さんが手掛ける家具ブランドの中から、地方に根付いた職人技に新しい概念を吹き込んだ<KAMO>と<tobi>をご紹介いたします。
旅行のつもりで行ったコペンハーゲン。連日取材に追われて驚きました。

本日は、世界的家具デザイナーである岩倉榮利さんを「越後屋オンライン」にお招きしました。さらに、岩倉さんが手掛けた商品を一同に集めたショールームを名古屋で運営されている「幕傳(まくでん)」の吉田憲生(よしだ のりお)さんにもご同席いただいて、岩倉さんのお仕事の中から<KAMO>と<tobi>という二つのブランドについて、お尋ねいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
岩倉榮利さん(以下/岩倉):
実はこの20~30年の間、改まったインタビューはほとんどお断りしてきました。今日は久しぶりに受けるインタビューです。分かる限りお答えしますので、どのようなことでも聞いてください。
吉田憲生さん(以下/吉田):
私は岩倉榮利デザインの家具を皆さんにご紹介し販売する仕事をしています。その一方で、先生に心酔する全国の有志が集まり学び合い、教え合う共有の場である「岩倉塾」の“塾生”でもあります。今日は普段から先生が口にされていることなども交えてお話しできればと思います。
最初に、3年前にコペンハーゲンで大成功を収めた個展についてお聞かせください。
日本人家具デザイナーがコペンハーゲンで個展をするのは初めてということでした。僕は骨休みの旅行のつもりで行ったのです。ところが現地に着くと連日取材に追われてしまった。「気楽にやったんだよ」とか、「座ってみれば分かるよ」とか、そんな感じの話をしましたね。
僕が1982年にデザインした「KARAS」や1984年の「KAMUI」、そして1986年の「KABUTO」など、たくさんの椅子が展示されたのですが、見に来た人々が「何て新しいデザインなんだ!」といいました。僕が「35年前に作ったものですよ」とお話すると、皆さん一様に目を丸くして「この椅子がほしい!」と、おっしゃいました。

1981年にオリジナルブランドである<ROCKSTONE>を立ち上げて以来、海外のデザイナーや建築家のシリーズなどのトータルなものづくりや、家具を中心とした空間プロデュース、究極の日本の宿づくりなどを手掛ける。
近年は海外の市場向けに開発した<KAMO><tobi>ブランドを手掛け、日本の家具としては異例の高評価を海外見本市にて獲得。世界市場における日本の家具ブランドのあるべき姿を追求し、世界に誇れる地場の職人技をデザインによって昇華させ、新時代に適応した新しいブランド創造活動を行っている。
株式会社 ロックストーン エグゼクティブデザイナー
株式会社 岩倉榮利造形開発研究所 代表取締役
京都美術工芸大学 客員教授
学校法人 環境造形学園 ICSカレッジオブアーツ 理事
コペンハーゲンには私も同行しました。ちょうどデンマーク工芸博物館で「LEARNING FROM JAPAN ~デンマークのデザインが日本文化から学んだこと~」という特別展が、2年間に渡って開催されていた時期でした。
日本人は北欧からデザインを学んだと思い込んでいるかもしれませんが、その展覧会では有田焼とロイヤルコペンハーゲンが並んで置かれていて「私たちは有田焼から学びました」という解説文が掲げられていました。
自分たちが心からリスペクトする日本のデザイン。その日本の家具デザイナーが初めて自国で開く個展ということで、日本での朝日や日経のような現地の全国紙に、3ページに渡って岩倉榮利の特集記事が掲載されました。そのような状況は思いもしないことでした。僕の泊まったホテルも、壁一面に先生のポスターが張られていました。

デンマークの後も海外で個展を開かれているのですか。
コペンハーゲンの個展の後、香港で<tobi>の展示会が開かれました。こちらもたくさんのメディアやお客さまに来ていただきました。昨年は中国、上海。今年は北京で講演をしてきました。
香港での<tobi>の展示会には、家具を作った職人さんが一緒に行ってくれました。気風がいいというのか「自分たちの作った家具を並べられるのは自分たちだけだ」といってくださって、品出しも会場設営も職人さん自身が現地で取り仕切ってくれました。<tobi>に対する彼らの深い愛情を感じた出来事でした。
岩倉榮利の類いまれなる感性と、日本の職人の伝承技術から生み出された
<KAMO>と<tobi>。
今、職人さんという話が出ましたが、今回越後屋オンラインでご紹介する<KAMO>と<tobi>は、伝統の職人技にデザインとブランドという新しい概念を吹き込んだ新しい和家具として、大変な注目を集めています。
<KAMO>は、2005年から加茂商工会議所と一緒に取り組んだブランドです。<tobi>は、2009年から東京・芝の職人さんと一緒に始めました。最初はお互いの主張がぶつかって職人さんとの関係は険悪。例えば<KAMO>の場合なら、従来の桐箪笥(きりだんす)には脚がありません。そこで僕はスチールの脚をデザインした。ところが、脚をつけるなんてもってのほかだと職人さんはいった。しかし、そんな対立が理解に変わる瞬間がやって来た。今では一緒にものづくりをする掛け替えのない仲間になりました。
<KAMO>

日本全国の約70%の生産量を占める日本一の桐箪笥の産地である新潟県加茂市。<KAMO>はその地で、約220年前の江戸時代から脈々と受け継がれてきた確かな伝統技術に、岩倉榮利がデザインの力で新しい息吹を吹き込んで生まれたブランドです。2006年、ドイツ・ケルンの国際見本市で海外デビューを果たすと、日本の家具としては異例の好評価を獲得。その後も桐箪笥職人が魅せるハイレベルな加工技術を引き出した新世代ジャパンオリジナルの家具として、唯一無二の存在感を世界に放っています。
<tobi>

文明開化とともに東京の地場産業として芽生え、その後全国各地に広がって家具産地形成に大きく貢献した東京・芝の家具。<tobi>とは、江戸の美意識である「鯔背(いなせ)」を体現する鳶職人の「トビ」と、混沌を抱えながら尖鋭的であり続ける東京という街の「都市美」=「都美」という2つの言葉に掛けたネーミングです。<tobi>は、伝統や技を受け継いだ職人の「気骨」を持ちながら、伝統的な「技」をさらに磨き上げたいという東京・芝の家具の想いを岩倉榮利流に解釈して生まれた、東京から世界へ発信するブランドです。
そちらの<KAMO>の桐箪笥をご紹介いただけますでしょうか。。

この箪笥を見た海外の人々の反応はどのようなものでしたか。
皆さん「どうしてそうなるの?」って狐に摘まれたような顔をしていました。何度も何度も不思議そうに引き出しを開け閉めする人も多かった。僕は職人さんに古い伝統は捨ててもらいましたが、このような素晴らしい技術は思う存分発揮していただいて、世界に類のない新しい家具を作ったのです。
桐という木材は、家具デザイナーにとって魅力的な素材なのでしょうか。
いま木材っておっしゃいましたが、それでは質問。桐という漢字はどう書きますか?「木偏に同じ」でしょう?木と同じ。ということは、厳密にいえば、木ではないという考え方もあるのです。鉋(かんな)を掛けにくく、桐を削れるようになるには10年掛かるといわれます。海外には桐を削れる職人なんてほとんどいません。だからこそ、桐は世界でも唯一無二の素材なのです。
この一番下の引き出しを開けてみてくだい。絶対に開きません。実は職人さんが仕掛けたカラクリがあるんです。

それだけではありません。桐箪笥の中に着物を入れたまま、家が火事になったとします。温度は800~900℃。箪笥の外側は真っ黒こげになる。しかし、そんな時でも桐はギューッと収縮し、中には煙一つ入れないのです。火が鎮まり温度が下がると、桐はシューッと元に戻って、箪笥の引き出しがスーッと開く。
すると、中に入っていた着物は元通り。燃えずに残るのです。凄いでしょう?桐というのは奇跡のような素材です。ヨーロッパの人たちは、どうしてそうなるのか理由が分からないといいます。中国の職人も、どうやって真似したらいいのか分からないといいます。
桐という素材には、湿気が多くなると膨張して隙間がなくなって、中に入っているものを守る性質があるのです。この話をすると、ドイツやパリの名だたるファッションデザイナーが<KAMO>を抱きしめて「先生、どんなものとでも交換します。この箪笥がほしい」っていいますよ。
驚きです。こちらの<KAMO>の桐箪笥の存在が、まるで奇跡のように思えてきました。それでは次に、<tobi>について教えていただけますか。
<tobi>は、東京が世界で一番の美しい都である、というのがテーマです。それは見た目の美しさだけでなく、人の優しさや気遣いも含めて、安全で皆がこんなに豊かに暮らしている街は世界中のどこにもないという意味を込めて名付けました。
芝の職人さんたちは、名古屋のショールームに家具を運ぶ時も、他人に商品を触らせようとはしません。お客さまのお宅までお届けに行ってくれることさえあるのです。彼らの<tobi>への愛情は、半端ではありません。
先程、ブランドの立ち上がりの時期には職人さんとの関係が険悪だったというお話がありましたね。
通常、一つのブランドを立ち上げるまでには約3年掛かります。最初の年は精神的な殴り合いのようなものでした。お互いに相手の出方を見ながら、時には怒鳴り合いになることもありました。ところがそのうちに、何だか信頼できる奴だと思ってくれたのでしょう。その後は、どんな難題を吹っかけてもどんなに困難な要求でも、持てる技を駆使して応えてくれるようになりました。
私たちはそれを“岩倉マジック”と呼んでいます。
培われた職人さんとの絆があってこそ、<KAMO>も<tobi>も素晴らしい造形美を叶えることができるのですね。今、お二人がお掛けになっているのは、<tobi>の椅子です。
私が座っている椅子は背もたれが高く、座ると背筋が伸びる椅子です。きちっとした姿勢で食べると食事がおいしくなります。素材は黒檀(こくたん)。座面にはホースヘアーが張り詰められています。大変エレガントなデザインで、線が細い。3本の木の縦格子が支えなしでスーッと上から下まで通っています。普通はどこかで留めるものなのですが、<tobi>は留めていません。このようなデザインを具現化するには、高い技術力が必要です。


こちらはくつろぐための椅子です。リビングに置いていただけたらと思います。座面は牛皮です。このまま掛けていいのですが、小柄な方は例えばレザーの中に羽根をいれたクッションなどを敷いてから座ると、さらに座り心地が良くなるのではないかと思います。


居心地のいい、使い心地のいい岩倉榮利デザインの家具は、ひと・モノ・空間の調和から生まれます。
<KAMO>と<tobi>の前にも、岩倉さんは家具デザイナーとしての長いキャリアをお持ちですね。
僕がデザイナーになったのは、20歳の時。デザインの基礎は、地元の郡山デザインセンターの小泉庄吉(こいずみ しょうきち)先生から学びました。小泉先生は、日本で唯一ドイツのバウハウスでデザイン理論を学んだ山脇巌(やまわき いわお)先生の教えを受けた方です。その後上京してICSカレッジオブアーツで学び、就職したのは22歳の時です。
北欧の家具を日本に紹介したことで知られる島崎信(しまざき まこと)先生の事務所に入ったのですが、そこが家具のデザインをメインとしていることは、入所してから気付きました。というのも、僕がその事務所を選んだ一番の理由は、当時流行していたディスコに近かったから。島崎研究所は、六本木の交差点のすぐそばにあったのです。
その頃は仕事が嫌いで、女の子が大好きで(笑)。好きなことをして遊びながらお金が稼げたらいいなと、そんな風に考えていました。
そんな岩倉さんの転機になったのは、渋谷パルコパート3のインテリアの総合プロデュースをなさったことでしょうか。

そこから精力的に新しいデザインの家具を発表されていくのですね。
それから約38年間、ずっと僕は<ROCKSTONE>のデザイナーです。でも段々とそれだけでは飽き足りなくなってきた。ところが自分のブランドを持っているために、日本の家具メーカーの仕事はできないわけです。
そんな中、21世紀に入ると、婚礼家具という文化が時代の流れから一気に下火になりまして、危機的状況に置かれた加茂市の商工会議所から「このままでは桐箪笥は終わってしまう。デザインの力を貸してほしい」という依頼がありました。
最初は「無理ではないか」と思ったのですが、事情を伺って、<KAMO>のデザインをお手伝いすることにしたのです。
今では、婚礼家具の売り上げは最盛期の10分の1以下に落ち込みました。全国で最も婚礼が派手だった名古屋でさえ、その風習は消えつつあります。時代や住まいに対する皆の意識が変わったのです。
そもそも僕は、婚礼桐箪笥に強い違和感を抱いていました。それは僕の考えるリビングルームにも、寝室にもまるで合わない。それで、合うようなスチールの脚を付けたのです。
<KAMO>は2006年に日本のグッドデザイン賞を受賞。ドイツ・ケルンでデビューした後、フランクフルト、パリ、ニューヨーク、ミラノなどの展示会で注目を集めました。<tobi>も、2011年にパリの見本市でデビューした後、世界中の注目を集めています。

岩倉デザインの家具で、今までに廃番になったものは一つもありません。発表当時は注目されなかった商品が何年か過ぎてヒットすることも多いです。先生がデザインする家具は、空間からイメージし、人と物と空間の調和を追求して生み出される家具なので、日本の空間がやっと岩倉榮利のデザインに追い付き始めたということではないかと思っています。
今回、日本橋三越本店と越後屋オンラインで、<KAMO>と<tobi>を紹介させていただきます。
350年余りの伝統のある日本橋三越本店に置かれることが大切なのだと感じています。今、日本でもヨーロッパでも、デパートから家具売場がなくなっています。家具は住まいの原点です。何とか踏ん張って残していってほしい。そして伝統のある百貨店だからこそ、新たな挑戦をしてほしいと願っています。
僕の作る家具は値段が高いと思われるかもしれませんが、一生ものだと考えたら納得いただけるのではないでしょうか。家具に“良し悪し”はありません。そこにあるのは“好き嫌い”だけです。これで食事をしたいとか、リビングにこれを置きたいとか、ご自分の素直な感覚に耳を傾けてみてください。僕の椅子の中で座り心地が悪いといわれたものはありません。美しさには機能が付いて来るからです。
常に忙しいデザイナーのお仕事をしながら、岩倉さんはどのような形でリラックスし、ご自身のインプット作業をなさっているのですか。
確かに仕事は忙しいですが、それ以外の時間はどこに行くのも女房と一緒です。ヨーロッパに行くと、カップルの方が受け入れられやすいということもありますしね。女房を愛し切っている。25年ずっと一緒にいて語り合って、一緒に食べて、世界中を旅している。
日本にいる時も一緒に買い物をして、一緒に鳥の声で目覚めて、一緒に自宅の近所の洗足の森の緑を愛でています。もちろん先程吉田さんがおっしゃったように、全国あちこちの“塾生”に会いに行くことも心の栄養になっています。
生活を楽しむことが、何年たっても色褪せない、岩倉さんの家具作りへのモチベーションになっているのですね。
僕は長い時間を掛けて、自分の好きな家具、自分で使いたいと思う家具を作ってきました。皆さんも「好きか嫌いか」をモノサシに、ぜひ日本橋三越本店にいらして、<KAMO>と<tobi>に出会ってください。

岩倉榮利さんデザインによる<KAMO>と<tobi>を約20点以上揃えた日本橋三越本店の企画「伝統の技×家具デザイナー岩倉榮利」が本当に楽しみです。岩倉さん、吉田さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。
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店頭イベント情報
受け継ぐ、育む。物語のある暮らし ~ニッポンモダン 岩倉榮利~
会期:9月19日(水)~10月2日(火)
場所:日本橋三越本店 本館5階 スペース#5 >アクセス
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■9月19日(水)午前10時から