<神田胡蝶>神田明神参道店にて。
5代目社長・小川浩之さん-
はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。早速ですが、4年前、小川さんが<神田胡蝶>の5代目社長を引き継がれた時のお気持ちを教えてください。
小川浩之さん(以下小川):
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。社長を引き継いだ時、この時代に履物を後世に残すのはなかなかのプレッシャーであると感じました。といいますのも、履物というのは、日本が誇る着物文化の大切な一部ではありますが、近年、和装をする方は年々大きく減少しているからです。とはいえ、<神田胡蝶>は、初代、2代目、先々代、先代と、その時代のエポックともいえるような草履を作っております。今までの当主が大切にしてきた進取の気性をしっかり引き継いで、私も日本の着物文化のお役に立ちたいと思いました。
<神田胡蝶>神田明神参道店にて。
5代目社長・小川浩之さん-
「胡蝶履」「舞胡蝶」「低反撥クッション草履」と、次々に新しいアイデアを形にしてきた<神田胡蝶>ですが、現在、小川さんが一番こだわっていることは何でしょうか?
それはやはり、素材のよさです。何といいましても、品質を決めるのは素材なんです。私どもでも、合成皮革のメリットに目を付けて大々的に使用していた時期がありましたが、結局、耐久性や質感はやはり本革が勝るとの結論で、現在では国産の牛革に、草履用の塗装やなめしをしたものを使っています。
天の革を、圧縮機で圧を掛けながら貼り付ける、職人の小金井健司さん。
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1足の草履ができるまでに、どのくらいの作業工程があるのでしょうか。
工程はいくつかのパートごとに分かれていて、細かくは100以上に分類されます。パートごとに専属の職人が担当していますので、どの工程にも熟練の職人技が生きています。
江戸・東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。
その参道の沿いにあるショーウインドーの一つが<神田胡蝶>神田明神参道店です。
店内には色とりどりの鼻緒が並び、まるで工芸品のように「巻」の見事な細工草履や、機能性にあふれた「胡蝶履」などが美を競い合っています。
今回は、そんな<神田胡蝶>に代々引き継がれる履物への想いを伺います。
明治から平成まで118年間、和の装いを愛される方の傍らに。

創業は118年前。日本橋蠣殻町(かきがらちょう)なのですね。
はい。初代小川房吉が<小川履物店>として明治32年(1899年)に日本橋蛎殻町で創業して以来、皆さまの足元を彩る商品をご提供して参りました。
それを継いだ2代目が豪快なキャラクターの持ち主で、仕事もしたし、遊びもしたしという人物だったようです。彼が戦災で焼失した会社を、日本橋から神田に移転させました。ここ神田の宮本町は、神田明神の御神輿をお預りしている歴史のある町です。
物流が整っていない中で、どかどかと自分でリヤカーを引いて、浅草に材料の買い付けに通ったりもしたそうです。合成皮革などの新素材をいち早く取り入れたのも、この2代目の時代です。彼には革新的なところがあったのだと思います。
大阪の「日本万国博覧会」も、2代目社長の時代ですか?
そうです。昭和45年(1970年)に開かれた大阪万博は、<神田胡蝶>にとって、大きな転機になりました。きっかけは大阪万博のコンパニオン(和装)の履物の注文を受けたことです。
靴を履き慣れた万博側のスタッフから、「左右が別であった方が履きやすいのでは?」という素朴な提案をいただいた時、この言葉にハッと気付かされた2代目は、その依頼に応えるべく全力で新しい草履の制作に取り組んだといいます。

その取り組みは、作りやすさから左右が同じ形であることが当たり前だった草履に、左右の違いを持ち込んだ初めてのチャレンジになりました。左右で前坪と後穴の位置を調節し、その形に合わせて履き心地や歩行時の負担軽減を計算して設計。2代目は「老舗の意地とプライドをかけて完成させた」といっていたそうです。
左右の区別がある履物は、並べると翅を広げた「蝶」のように見えたので「胡蝶履(こちょうばき)」と名づけられ、今では<神田胡蝶>の履物の7割がこの「胡蝶履」になりました。
その後、新たに開発した「舞胡蝶(まいこちょう)」が、グッドデザイン賞を受賞しました。
グッドデザイン賞をいただいたのは、平成9年(1997年)。3代目に代が替わってからのことです。「胡蝶履」をベースに、人間工学の第一人者、近藤四郎理学博士と共同で「舞胡蝶」を開発したのです。

このシリーズでは、足の蹴り出し方とか、草履を履いて歩くにはどのような形にしたらいいかということを、科学的な分析と老舗の技術のすべてを結集して追求しました。「足に優しい草履」として、洗練された機能美が評価されてグッドデザイン賞を受賞することになりました。小指も含めて5本ともしっかり草履に足がのるので、外反母趾の方などにも履きやすいと、今でもたいへん喜ばれています。
そして先代(4代目)の社長の時代に「低反撥クッション草履」を発表されたのですね。
はい。天の芯に新素材の低反撥を入れることでクッション性が格段に良くなりました。疲れにくいし歩きやすいというので、たいへんリピーターの多い草履です。
履物というのは、人の足がほぼ唯一の移動手段であった時代に発展してきたものです。私は、機能性というのは絶対条件だと思っています。年齢、体格、用途、好みなどにより求められる機能は異なり、更にその為の技法や設えはさまざまですが、草履は和装品の中でも最も機能性を求められるといっても過言ではないでしょう。

革には徹底的にこだわり、通常だと台に張ってから目立ってくる血筋の跡なども、素材段階から職人の目で厳しく吟味。一方で単に「本革だから良い」という安直な考えではなく、より満足いただける履物を作るためであれば変化も厭いません。今の課題は、草履向け資材の調達が難しくなっていることです。
また、鼻緒の裏の素材も本天(ほんてん)と呼ばれている最高級のビロードを使っています。職人さんの減少でこれもなかなか作れなくなっているのですが、何とか入手ルートを確保して使い続けていきたいと思っています。
本社内にある工場には、確かな技術が引き継がれていました。
こちらの倉庫は、工場の地下の深くにあるんですね。
はい。直射日光の当たらない、気温の変化のない場所ということで、地下に素材用の倉庫を置いています。この界隈には、地下室に麹などを仕舞っている甘酒屋さんや納豆屋さんもあるんですよ。

こちらの倉庫には革の存在感を決定づける加工法別に、ワイン加工の革が約60種類、マット加工の革が約60種類、エナメル加工の革が約30種類ほど、常備されています。ですから、どのようなものでもお客さまのご注文に応じたオリジナルの草履をお作りすることができるのです。
革だけでなく、クッションのコルクや鼻緒など、素材へのこだわりは強く持ち続けています。

<神田胡蝶>らしい特長的な技法を、いくつかご紹介いただけますか。
こちらは、特別な履物に使われている「切芯」という技法で、芯材であるコルクに切り込みを入れ、その切り込みに革を差し込み飾りを施しています。こちらの草履では、矢羽の部分に切芯の技法が使われております。履いた時に、そのほとんどが足や裾で隠れてしまう履物のお洒落のポイントは、側面と鼻緒。限られたスペースにこのような飾りを施すのは、こだわりの極みだと思っています。

次に「ペラ」をご紹介します。「ペラ」というのは、草履の台と台の間に差し込まれた細い部分で、こちらの草履では、この白い革の部分です。本当にわずかな部分ではありますが、ペラを入れるか入れないか、ペラに何色を入れるかで草履の雰囲気が大きく変わるのです。同系色のペラはよく馴染みますが、そうでない色のペラはアクセントになることが多いです。

“ファッションは足元から”といわれるような、世相や好みを反映したその時代のお洒落を表現しようと考えています。そのせいか<神田胡蝶>では、ペラが入っている草履の方が多いですね。ただ、草履を作ることのできる職人さんが高齢になっていますので、これからは若い職人を育てることにも力を入れなければなりません。

螺鈿(らでん)といいますのは、貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、革の表面にはめ込む手法です。見えないところにこのように美しい工芸を施すことこそが、長い歴史の中で洗練されてきた “粋”の表現でもあると考えています。
このような美しい技法以外にも、履物の本質といいますか、基本はどこにあるとお考えですか。
草履では、鼻緒の「すげ調整」がとても大切です。靴ですと「何センチ」という長さで購入されますよね。幅は「E」ですとか「2E」とかで選べます。しかし草履の場合は、そのサイズ感をすべて鼻緒と台の長さの調整で行うのです。
<神田胡蝶>の営業担当は全員“セールスマイスター”として、「鼻緒すげ」ができるので、日本橋三越本店の店舗でも定期的に実演しております。リピーターの方も多く、たいへんご好評をいただいています。「30年使った草履だけどまだ履けますか?」などとおっしゃって持ってきてくださるお客さまもいらっしゃいます。こうして長い間履き続けることができるのも、草履の魅力だと思っています。

最後に、小川さんの今後の目標や夢を教えてください。
江戸の粋や和の風情といった、伝統文化の持つ独特の美や雰囲気は、他のものにはない重要な要素だと思っています。例えば色使いであったり、熟練の技巧であったり、機能美や様式美など、すべては長い歴史の中で洗練されてきたものです。そしてそれこそが、先人たちが長年にわたり苦心してその文化を伝えてきた理由であり、現代の私たちが伝統文化に感じることのできる最も大きな魅力の一つだと思います。
創業以来、履物作りをひたむきに追求する老舗が築き上げてきた世界、そのこだわりや奥深さの中で、その方にとって最高の一足に出会っていただくこと。またさまざまに試し楽しんでいただくこと。私たちの培ってきた技術で、一人でも多くの方にご満足をいただきたいという想いが、<神田胡蝶>のものづくりの原動力になっています。

<胡蝶>という社名は、新歌舞伎十八番のひとつ「鏡獅子」という演目に登場する「胡蝶の精」というキャラクターが、荒れ狂う獅子を和やかにする力を持っていることから名付けられました。この「胡蝶の精」のようにみなさんの足を和やかにしたい……という願いを込めて命名されたと聞いています。
私の想いも同じです。ひとりでも多くの方に、草履を履いて和やかな気持ちを感じていただくことが夢であり、これからの目標です。
ご案内いただいた地下の倉庫と、小川さんの物静かな中にも決意を秘めたお話しぶりが、とても印象的でした。今日はありがとうございました。
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