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<日本橋いづもや>三代目
岩本 公宏 (いわもと たかひろ)昨年、創業70周年を迎えた<日本橋いづもや>は、日本橋のうなぎの名店。
三代目の公宏さんは、料亭料理屋組合でもある「東京芽生(めばえ)会」の会長、また日本橋の老舗若旦那衆で作る「日本橋三四四(みよし)会」の副会長を務める。
2003年より日本橋三越本店にも出店。
おいしいうなぎを世に広めるべく日々奮闘している。 -
焼き始めたら、炭の場所によって火の強さが違いますから、どこが強くてどこが弱いかを肌で感じ取り、例えば蒸しあがったうなぎ10枚を炭火鉢の上で焼き始めたら、場所替えを適宜行い、10枚が均等に色づくように仕上げます。
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<日本橋いづもや>には「いづも焼き」という名物メニューがありますね。
「いづも焼き」を作ろうと思ったのは、秋田県のある醸造所を訪問したことがきっかけです。そこで作っていた秋田特産の「しょっつる*」。これを口にした時の衝撃は今でも忘れられません。そこで、これをうなぎ100%で作ったらどうなるだろうかと思い、その醸造所のご協力をいただいてうなぎの魚醤(ぎょしょう)を作り上げました。
*しょっつる・・・ハタハタで作った魚醤
蒸したうなぎにうなぎの魚醤をつけて焼き上げたものが「いづも焼き」です。魚醤自体の原料は魚と塩ですから、このうなぎの魚醤も原材料はうなぎと塩のみですが、塩の角が取れていて、そしてなんとも言えない香りがします。日本人なら絶対に好きな香りだと思います。一度は召しあがっていただきたい一品です。
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岩本さんの「三越」にまつわる思い出があったら、教えてください。
小さな頃から、夏休みは日本橋三越本店におりました。7階と屋上でやっていた「夏休みこども博」。
ファミコンでスコアを競い合ったり、屋上ではスイカ割りイベントがあったり、生け簀の中で泳ぎ回る錦鯉をずっと眺めてみたり、防災の日には屋上ステージで「大声選手権」に出て優勝したり、避難訓練にも参加して、取材に来ていた若かりし立川志の輔さんにインタビューされたりと、小学生の頃は楽しい記憶で満ち溢れています。
高層ビルの立ち並ぶ日本橋でふと目を引く二階建ての日本家屋。
うなぎの専門店を営む<日本橋いづもや>は昭和21年の創業。
大切に守られた秘伝のタレと紀州備長炭で焼かれたうなぎの蒲焼き。お重の蓋を開けると飴色に輝く表面の照りに目を奪われます。備え付けの山椒を振り掛けると、また違った風味を味わうことができ、何度でも食べたくなるおいしさです。長年通われるお客さまが数多くいらっしゃるのも頷けます。
今回はこの<日本橋いづもや>三代目の岩本公宏(いわもと たかひろ)さんに、日本橋でうなぎの老舗を営む料理人としての気概を伺います。

あくまでも、うなぎが主役。
おいしいものをおいしく食べていただきたいのです。

はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、<日本橋いづもや>のうなぎの味の特長はどこですか。
岩本さん(以下/岩本):
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
<日本橋いづもや>のうなぎは、さっぱりしているところが一番の特長です。うなぎの良し悪しが直接出るため、うなぎそのものの選別に気を遣っております。最高のうなぎを引き立てるのがタレ。あくまでも主役はうなぎです。
焼き方のこだわりを教えていただけますか。
まずは割きが上手くないと良い焼き色がつきません。そして串を皮と身の間のポイントにうまく打っていかないと、焼いている間に崩れ落ちてしまいます。
次に「白入れ」という素焼き作業をするのですが、これも皮目をしっかり入れるのは良いのですが、関東風の場合、身の方をしっかり焼きすぎてしまうと、色付きが悪くなります。

<日本橋いづもや>のうな重は人気がありますが、「ご飯」のこだわりは?
「うな重」は、うなぎと、ご飯と、タレの調和が大切です。例えば、私も大好きな魚沼産の「コシヒカリ」は、ご飯だけで食べるなら文句なしにおいしいのですが、「うな重」は甘みのあるタレを掛けますから、甘みの強いご飯は選んでいません。
バランスを考えて、お米は宮城県産の「ひとめぼれ」を使っています。当然最高ランクですからご飯だけで食べても素晴らしいのですが、ここにタレを掛けて焼きあがった蒲焼きを乗せて食べた時の三位一体感を感じていただければと思っております。

「山椒」のこだわりはありますか。
「山椒」は、紀州和歌山のものを使っております。皆さまは青い「山椒」と茶色い「山椒」をご覧になられたことがあると思うのですが、青いものはまだ若い「山椒」の実を粉にしたもの。茶色いのは「山椒」の実を乾燥させてから粉にしたものなのです。
青いものはピリリと舌が痺れるほどで、それが好きという方も多くいらっしゃいますが、<いづもや>では乾燥した方を使っております。こちらは痺れが少なく、ふんわりとした香りが特長です。これにより、うなぎも活きてくると思うのです。

格式は高く、敷居は低く。
皆さまに愛されるお店であり続けたい。
<日本橋いづもや>といえば、うなぎの「老舗」といわれますが、「老舗」とはどのようなお店のことだとお考えですか。
「老舗」とお客さまに感じていただけるのには、さまざまな理由があるのではないでしょうか。例えば、企業のお客さまであれば入社当時、上司に連れて来てもらった経験があり、その後ご自身が出世されて人を連れてくるという年月の流れ、またご家族連れであれば、小さな時に親御さんに連れられて来たという年月の流れの中で、我々はただの街のうなぎ屋としてやっていたつもりが、いつのまにかお客さまが「老舗」と呼び、認めてくださっているように思えます。
ですから私共も「老舗」といわれるのに恥じないような設え、お料理、サービスを提供しなければならないと考えております。これは別に入りづらくするというわけではなく、あくまでも「格式は高く、敷居は低く」と思っております。

長年ご商売をされてきた中で、特に印象的だった出来事があれば教えてください。
一昨年くらいだったでしょうか。90歳前後の男性が本店に見えました。そして突然、早くに亡くなった初代の話をされました。昭和20年代に亡くなっていますから、名前を知っている人もそうそういません。話を聞けば聞くほど、その頃の情景が見えてきて、私や父の知らない話をたくさんしてくださいました。
そして創業が「昭和21年」ではなく、神田美倉橋のガード下で「昭和17年」に<いづもや>として、焼き鳥とうなぎの店として創業したと話してくれました。それ以来、そのお客さまはお見えになっておりません。突然現れ、神のお告げのように創業時のことを教えてくださった。今となっては不思議な感覚です。ご連絡先をお伺いしておけば良かったと後悔しています。

岩本さんは、「うなぎ」という食材についてどうお思いですか。
うなぎはその昔、「天然の美容水」といわれていたそうです。医食同源ではないですが、つまりそれだけ栄養素の塊なわけです。関東風の場合、一度素焼きしてから蒸すので、余分な脂は落ちますが、それでも適度に残っています。魚の脂ですからとても健康的で、これが天然の美容水ということの表れではないでしょうか。
何より身体が証明してくれます。食べると元気になります。三越店のイートインでは80歳を過ぎてもなお、週1回は必ずうなぎを食べに来られるお客さまがいらっしゃいます。うなぎはパワーフード。ハレの日だとかお祝いの時にと言わず、定期的にお召しあがりいただけると嬉しいです。

小学生の頃の思い出は、「三越」での楽しい記憶に満ち溢れています。

岩本さんは日本橋の老舗若旦那衆による「三四四(みよし)会」の副会長を務めています。今後、日本橋をどのような街にしていきたいとお考えでしょうか。
日本橋の再開発に対して快く思われていない方もお見掛けします。それはきっと、幼い頃より毎日のように見てきた街が姿を変え、そして新しいものが作られていく過程で起きる正直な感想なのだと思います。でも日本橋の人間は新しいものへの順応が早いのも特長の一つ。これからも変わり続ける、いや進化し続ける街を皆で見守っていくに違いありません。
私が思うに、「変わり続ける日本橋」というのはここ10年、20年の話ではないと思っております。今もオリンピックを迎えるにあたり、日本橋は大きく変わろうとしています。賑わいの中にも品格を兼ね備えた、日本人が好きな街、住みたい街、そして食事をするなら日本橋、といっていただけるような街になるよう、尽力していければと思っております。
うなぎを焼かれている時の岩本さんはクールな居合抜きの達人さながら。一方、お話をされる時には、周りを巻き込むような熱いエネルギーに満ちています。
歴史を大切にしながら、日本橋の街の魅力を積極的に発信していこうとする岩本さんたちの活動から、これからも目が離せそうもありません。
今日はありがとうございました。