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今回お二人が出演される山本周五郎原作の『柳橋物語』ですが、どのような作品なのでしょうか。
今村文美(以下/文美)
私の演じる主人公のおせんは、江戸の下町でつつましく健気に暮らす普通の娘です。そんな普通の娘が、思わず言った「待っているわ」のたった一言を胸に、さまざまな災害や苦難に襲われ、そして世間の荒波に揉まれながら成長していくという江戸の庶民情緒に溢れた山本周五郎先生らしい物語です。 -
嵐芳三郎さんが演じられる幸太は、どのような役でしょうか。
嵐芳三郎(以下/芳三郎)
主役のおせんの幼なじみでもある大工の若棟梁です。同じ杉田屋の大工・庄吉と約束を交わしたおせんに想いを寄せる一方で、おせんのお爺さんである源六さんを職人としてとても尊敬しています。 実は、幕開きに幸太が源六から「職人とは、こういうものだ」と聞かされる場面があるのですが、ここが幸太の職人気質を語る部分としてとても大切だと思っています。
「待っているわ」おせんはからだじゅうが火のように熱くなった。そして殆ど自分ではなにを云うのかわからずこう答えた「・・・・ええ待っているわ、庄さん」(山本周五郎作「柳橋物語」より)
江戸下町、幾多の災害と苦難、人の世の冷たさ温かさを感じながら、ひたむきに生きる女性の生き様を描いた山本周五郎の傑作『柳橋物語』。劇的な展開の中に江戸庶民の細やかな心情と情緒を再現する前進座・山本周五郎作品の真骨頂とも言える舞台の魅力を、ご出演の今村文美さんと嵐芳三郎さんにお訊きします。
つつましく健気に苦難を乗り越えていく江戸娘の姿を描く。

女の一生というイメージでしょうか。
そうですねぇ。一生というと、何十年にも亘るイメージですが、この『柳橋物語』は、舞台上ではほんの一年ほどのお話です。その短い間に、さまざまな困難や苦難に遭いながらも周りの人達の助けで乗り越えていくんです。でも、人の一生分に値する位の人生とも言えますね。
いかに困難を乗り越えていくかが見せ場になるのですね。
周五郎先生は、東京大空襲をはじめとする過酷な時代を生きてこられました。「本当に辛い時、一人では乗り越えられなくても、何かの支え・誰かの支えがあれば乗り越えられる。人は支え合って生きているんだ」。そんなメッセージを思わずにいられません。おせんも周りの人達に支えられて立ち直っていきます。人と人との絆、信頼する心の大切さを、おせんを通して伝えられたらと思います。

物語が幸太と源六の場面から始まるのですね。
大きな流れは原作を大切に受け継ぎながらも、細部の展開などで前進座のお芝居ならではの展開を加えています。
この冒頭の源六と幸太の場面もそのひとつで、ここでの演技が後々物語に大きな意味を持って来ます。前進座の脚色の田島栄や演出の十島英明の面目躍如といったところでしょうか。
舞台ならではの展開も楽しみですね。
そうですね。独自の演出がいくつかありますので、すでに原作を読まれている方にも新鮮に楽しんでいただけると思います。
災害に翻弄される庶民の姿が、現代社会をも彷彿とさせる。
演出というと、この物語では火事や水害が大きなポイントになります。舞台上という限られた空間での演出も見逃せないと思いますが。
これは実際に観ていただきたいところですが、大火事の中で、おせんの家から柳河岸に転換する場面があります。その時に演者が逃げ惑いながら舞台道具を押したり持ったりして逃げていくんです。実は、大道具さんも演技をしながら道具を片付けていきまして、気が付くと舞台上が炎につつまれた柳河岸に場面転換している。そのダイナミックな動きは見所だと思います。
災害というと、近年、大災害が続いています。災害が大きなテーマになっている『柳橋物語』は、お客さまにとっても他人事ではない部分があると思うのですが。
『柳橋物語』をご覧になった方から、東北の震災を乗り越えて生きていこうとする人の姿と、幕切れのおせんの姿が重なったと仰っていただきました。
観る方は、今という時代やご自身と重ねてお芝居をご覧になるんだなと改めて思いました。
だからこそ、おせんに降り注ぐ困難だけでなく、その困難を乗り越えた先にある希望をお伝えしたいと思っています。

お芝居の中で、火事で焼け出された人たちに粥を振る舞う場面があります。その場面で雪が舞うのですが、それを観た方から、東日本大震災の後に降った雪を思い出したとお聞きしました。
それまで、ただ物語の流れで演じていたのですが、そのようにご覧になるのかと思うと、演じる側にもそれなりの責任というか覚悟が必要だと思いました。
よく先輩から、周五郎作品はまげをかぶった現代劇のつもりでと言われます。まさに現代を写した作品だと思います。
ですから、そうした災害の場面だけでなく、総てに作りものでない自然な演技が大切なんですね。
現代物としての意識は持ちつつも、その一方で演技はしっかりと江戸の風情を再現しなければならないとも思います。所作とか口調とか、出てきただけで“江戸の人”に見えるように。それが歌舞伎から出発した前進座の使命でもあります。
山本周五郎作品の上演を許された唯一の劇団・前進座の真骨頂。
今回の公演は山本周五郎没後50年の区切りとなる公演ですが、お二人は山本周五郎作品に、どのような思いをお持ちでしょうか。
私は周五郎作品・近松(門左衛門)作品に生きる女性を演じたいというのが、入座の頃の夢でした。中学生の時、劇団の『さぶ』を観て、幕が下りてもしばらく立てない程感動した自分をはっきり覚えています。周五郎作品が大好きです。
憧れの作品だったわけですね。
これまで劇団は周五郎作品を18作品上演しています。1964年『季節のない街』のお稽古を先生がご覧になってとても喜んでくださり、ご自身の作品を自由に上演することをお許しくださったと聞いています。先輩達の努力を認めてくださったんですね。
その先生の想いに全力で応えていくことは、私達世代にとっても、使命だと思っています。
もっとずっと若い頃、山本周五郎先生の『さぶ』という作品をやらせていただいたのですが、中高生の演劇鑑賞教室で演じた時、真面目なシーンで学生さんたちが笑い始めました。それはもう悔しかったのですが、要するに山本周五郎先生の作品というのは、表面的な芝居では観ている人に伝わらないのです。
きちんと演じてお客さまを納得させるくらいのリアリティを出さなければならないのです。
役者にとってはとても怖い作品です、先生の作品は。

そうしたことも含めて、今回『柳橋物語』では、どのような役作りをお考えでしょうか。
周りの人達の中で成長していくわけですから、日常的な交流を大切にしたいですね。そして、何としても若くないといけませんし(笑)。
それから、皆さんは特に着付けなんかも興味があるかと思いますが、お針のお稽古から帰って、普段着に着替える場面があります。舞台上で、お客さまに見えている中、鏡もありませんし、台詞を言いながら・・・大変なことばかりです。
幸太という男は、腕がいい、気っ風もいい、たぶん顔もいい。モテたと思うんです。ところが、当人はおせん一途。一緒になれなければ生きていけない程の気持ちなんです。実は、とても傷つきやすい男ではないかと思います。
見た目と内面にギャップがある。
男らしいだけでなく、情けなくてナイーブな一面も持った生身の人間らしい芳三郎幸太を創っていけたらと思っています。

山本周五郎没後50年、三越劇場90周年。記念のこの年に。
今年は、山本周五郎没後50年であると同時に、三越劇場90周年でもあります。三越劇場への想いなどありましたらお聞かせください。
確か、父の六代目嵐芳三郎が岡田茉莉子さんと共演した時だと思いますが、その舞台を観に三越劇場に来たことを、今でも覚えています。
何よりも、日本橋のデパートの上にお芝居を観るところがあるというのに驚きましたね。
小さな頃から、お馴染みだったということですね。
自分で舞台に立つようになると、前進座劇場と同じような大きさで演じやすさを感じました。客席から観るなら2階席が好きですね。2階席の一番前がお気に入りです。舞台が手に取るように見えて臨場感のあるところが好きです。
劇場内の装飾も立派ですし、本当にいつまでも残って欲しい劇場です。
実は、三越劇場さんの舞台に立つのは今回が初めてなんです。ですから、今からとても楽しみです。以前にも、表方と言いますか客席の案内とかで入らせていただいたことがありますが、日本橋三越さんの6階に突然別世界が現れたようで、何か特別な感じのする空間ですね。
初めての三越劇場の舞台、どのようなお気持ちで立たれますか。
三越劇場90周年で、山本周五郎先生の没後50年。しかもお芝居の舞台である柳橋は目と鼻の先です。
初めてでありながら里帰りをするような特別なご縁を感じます。私自身も特別な思いを持って舞台に立ちたいと思っています。

最後にファンの皆さまにメッセージをお願いいたします。
唯一山本周五郎先生ご本人から作品の上演を許された劇団である前進座が30年ぶりに『柳橋物語』を上演します。
30年前は、前の世代の先輩が中心でしたが、今回はすべて新世代の若い『柳橋物語』の再演です。ご覧になって、ぜひ前進座の感動を味わってください。
前進座の先輩方が積み上げてきた大切な作品を、この節目の年に演じられることは、とても光栄であるとともに身の引き締まる思いです。
一途にひたむきに生きる江戸庶民の姿を、全力で務めさせていただきたいと思います。どうぞ応援よろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。新鮮な新世代の『柳橋物語』、前進座ならではの山本周五郎作品を、今から楽しみにしています。
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