1950年に猪熊弦一郎氏によってデザインされた
三越の包装紙「華ひらく」。
その誕生のエピソードと、三越のラッピングに
込められた想いをご紹介します。
日本の百貨店で初めての
オリジナル包装紙
戦前、百貨店の包装紙といえば地味なハトロン紙が主流。三越でも、新築予定の新館を描いたり、干支をデザインしたりと、その時々の話題を取り入れた包装紙を作ってはいましたが、いわゆる定番の包装紙は用意していませんでした。クリスマス用に「百貨店のシンボルとなるようなオリジナルの包装紙を作ろう」という話が持ち上がったのは、戦後間もない1950年。「戦後の暗い世相に光を」との考えによる、日本で初めての試みでした。
猪熊弦一郎画伯の
デザイン画を受け取ったのは
アンパンマンの生みの親!
猪熊弦一郎画伯による原画
やなせたかしさん
包装紙のデザインを手がけたのは、猪熊弦一郎画伯。「華ひらく」と名づけられたデザインは、画伯が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」をテーマにしようと考えたことから生まれました。包装紙のデザインを画伯に依頼し、出来上がった作品を受け取りにいったのは、当時三越宣伝部の社員だった漫画家、やなせたかしさん。抽象的なデザインの赤い切り抜きが白い紙にテープで仮止めされただけのデザイン画には、やなせさんも驚いたものの、商品を包んでみるとそれこそ花が開いたようにぱっと明るくなるのを見て「さすが猪熊画伯」と感心したそうです。
撮影:高橋 章
猪熊弦一郎
1902年香川県高松市生まれ。東京美術学校(現東京藝術大学)に進学し、藤島武二氏に師事。1950年に三越の包装紙「華ひらく」をデザイン。1955年から約20年間ニューヨークで制作を行う。
1993年逝去。
三越のシンボル、
信頼の証として愛されて半世紀
その後、やなせさんの手で「mitsukoshi」のロゴが書き入れられ、現在に至るまで三越のシンボルとして愛されてきた「華ひらく」。他の百貨店がそれぞれオリジナルデザインの包装紙を使い始めたのも、三越がこの包装紙を使い始めてからのことでした。斬新でありながらシンプルで、包むものを引き立てるデザインは、今や三越の代名詞的存在。品物をこの包装紙で丁寧にお包みして、三越が培ってきた伝統や信頼とともにお届けしています。