ローランジョアン氏は1915年、自転車レースで有名なル・マンの近くの町で生まれました。13歳の時からパン職人として修行を始め、1942年パリ・モンパルナスにジョアン1号店を開業しました。そこで25年間を経た後、1971年からパリ郊外のダムブランシュにお店を開きます。店の運営は、長男ジルベルが菓子、次男リュックがパン、長女アニーが販売担当というように、ファミリーできりもりしていました。
パン屋の朝は早く、営業していた当時、ジョアンのお店の厨房は深夜3時からスタートしていました。平均して1日1000kg(本数に換算して3000本)を焼くのだから、それはもう大変!早朝7時過ぎには朝食のパンを買い求めるお客様で店内は混み始めるため、オーブンを2台備えて毎日この量のパンを作っていたのです。
まさに、“夜明けの職人”と言われる言葉の通りでした。
ローランジョアン氏は1998年にパン作り一筋の人生を終え、パリっ子に56年もの間親しまれた店を閉店。しかし、ローランジョアン氏の技術と精神は日本のジョアンで今も受け継がれています。 |